福岡の様々な空間と新しい表現の為のテーブルセッションのサイトです


by plants2
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<   2004年 09月 ( 14 )   > この月の画像一覧

こんばんは。

そしてあいかわらず、今回の報告も開催日当日です。・・・。
今日のplants!もすてきな回になりますように。

下の報告に入りきらなかった、向月台。しかも雪景色。
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by plants2 | 2004-09-16 02:46
8月19日第3回plants!参加者15人
●自己紹介に続き、今回はネタをもってきてくれた先崎さんのお話(日本庭園の話)
・・そ、それが・・・。なぜか、うまい具合に先崎さんの話のところだけビデオが映ってにゃいのです・・・。
というわけで、先崎さんのレジュメと、申し訳ないですが、私の怪しいメモを載せておきます。恐れ入りますが、先崎さん&誰か補足願います・・・。

ラインナップ
一、日本庭園のちょっと勝手な見方
 ①テクノな庭:枯山水メドレー(竜安寺、東海庵、大徳寺、大仙院、ジュ光院)
 ②日本のサイケ:(金閣、飛雲閣)
 ③うつろう:日本の表現美(銀閣、高等院、高山寺・石水院)
 ④永遠のモダン:進化する近代庭園(東福寺)
二、日本文化としての公園
 ①日本人的な公園の3大要素
 ②本来の和魂、大和魂によって創出されるパブリックスペースを考えたい
三、風景について考える
 ①建築家も美術家もグルになる公共事業
 a0018241_2394749.jpg②新しい風景の創出に向けて
四、コミュニティは何によって生まれるか
                                                                                                                                                              


                                                    





                                                          金閣寺
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by plants2 | 2004-09-16 02:42

第3回plants!報告②

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                        飛雲閣
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by plants2 | 2004-09-16 02:35

第3回plants!報告③

●事務局いけもとのあやしいメモ書きより
松岡正剛によると (http://www.isis.ne.jp/top.html←この人のことですよね?)
「うつ」ということばは「空」「虚」「」という字が当てはまるそうです。
                    ↑
             本来何もないっていう意味・・・不思議!

     うつ―→うつろ―→うつろう―→うつし(移・写)―→うつつ(現)
     ないもの――――――――――――――→あらわれるもの
                《 リバースモード 》

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↑竜安寺 ↓大仙院

a0018241_2235110.jpg枯山水・・・見立ての文化
竜安寺・・・大雲山竜安寺という名前からこの庭は雲から出ている山のイメージではないかなと先崎さんは考えているそうです。
大仙院・・・先崎さん曰く、これはおっぱい庭園だそうです。
飛雲閣・・・西本願寺にあり、左右非対称。
高山寺・石水院・・・窓から見えるものがそのまま美しいという感じ。
銀閣寺の向月台・・・月が一番真上にあるときが一番きれいにみえる。まるでインスタレーションみたい。
テクノ・エレクトロニカ=石組みのリズム感

「近代美術を振り返る時、私たちが犯しがちな間違いは、「作品」という近代自我の成立により生まれた概念が、芸術を個人の中で完成される作業として位置づけたために、それまでの自己以外の環境を含む他者との内的なコミュニケーションによって成立する芸術傾向を、方法論として無視しがちなことである。」美術評論家 伊東順二
◎芸術とは独創性よりも切り口の独自性
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by plants2 | 2004-09-16 02:27

第3回plants!④

●藤さんから直島の地中美術館のはなし・1
直島に行って子供たちとワークショップをやった。直島には新しい地中美術館というのが出来ていて、安藤忠雄が作った美術館なんだけど、3人の作家だけを常設で扱っている。その作品をいれるためだけにつくった部屋。ものすごい。考えただけでもすごい。ジェームズ・タレルもすごい。(興奮気味)ひとつはブラックらライトみたいなのを使って光の中に入っていく作品と空が切り取られただけの部屋。空がわーっとなるような感じ。それとアブラモビッチ部屋(マリーナ・アブラモビッチ?)。対話をやるような空間・装置として、そういうのをめずらしく福武は作ったなという感じ。みんながせっせと払っているチャレンジとかが役立ってる。ここは写真は一切だめで、誓約書を書かされる。駐車場からわざわざ道をあるいていって、睡蓮の川があったり、東京やいろんなところから来ているボランティアがたくさんいる。よくやったなって感じ。安藤忠雄の美術館建築は作品を入れる器としてはあまり良くないなーと思っていたが、そのぶっとぶぐらいいい。海外旅行行くより、作品で震えたい人はぜひ!(ほんとによさそう☆)

地中美術館(http://www.chichu.jp/j/
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by plants2 | 2004-09-16 02:16

第3回plants!報告⑤

●藤さんから直島の地中美術館のはなし・2
直島は豊島っていう廃棄物の問題で有名になった島(僕が尊敬するパフォーマー,中坊公平がずっと関わっていたとこ(笑))と,犬島という柳幸典がプロジェクトを行っている島のすぐそば。《三島由紀夫の家再現プロジェクトとか精錬所跡を使った大掛かりなプロジェクトを柳幸典がやっている。》
手島・直島・犬島がこれから面白くなるかも。。

中坊公平(http://www.chunichi.ne.jp/inpaku/02/tesima/1998062403.shtml

柳幸典犬島プロジェクト
(http://www.yanagistudio.net/inujima/index.html)
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by plants2 | 2004-09-16 02:07

第3回plants!報告⑥

●藤さんから宇根 豊氏のはなし→自然という概念
つい最近、二丈町在住の宇根豊という農業で教育をやるという人の記事が新聞に載っていた。その記事は「自然をイメージしてください」「もしできたら自分がその中に入っている姿を想像してください」からはじまり、できたら、「じゃあ、どういう自然をイメージしましたか?」と続く・・・
江戸時代までは自然は他者ではなかった。外じゃなかった。でもみんながイメージしたのは必ず外から見た自然だったんじゃないですか?つまり外の風景としての自然に自分をもって行ったんじゃないでしょうか?自然という概念ができたのは近代じゃないか?もともと江戸時代とかは、自然と共存していたわけだから、自然と暮らし、おそらく庭園というのは自然とより深い関係、宇宙観・虚空の世界をどう理解するかというのをひとつの装置として表現していたんじゃないかと思う。
宇宙の外側の状態っていうのを捉える捉え方をいかに表現するかっていうのがあったんじゃないか。自然の中にいるという生活観に中でこういうの(庭園)があった、接し方をより深めるという装置でもあったかなと思う。

宇根豊(http://kyushu.yomiuri.co.jp/jidai/jidai2002/021130.htm
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by plants2 | 2004-09-16 02:01

第3回plants!報告⑦

●池澤さんの自然(ジネン)のはなし
昔は自然をジネンって読んでいた。自分のジ。
自分を含めたものと感じていたが、だんだんと自然(シゼン)に変わってきたので、それが社会の流れに反映されてるのかな?

藤「自然は外にあるイメージが確かにある。田舎暮らしをしていて都市生活から離れているけど、自然の中にいるいっしょに生きているって感覚はない。宇根さんのゆっていたのは田んぼの中にすわって、風を受け、虫を眺め、植物を眺める。ただそれだけの生活がもともと人間が営んできた生活であったにもかかわらず、西洋的な考え方で、《仕事をしている日常から離れ、休暇で自然にいき、リゾート的な考え方で、山の中で本を広げるとかワインを飲むとかなんんかそういう感覚》に毒されている感じを感じてて、もっとふつうにあったような感じがあったのかな。」

サカイさん「アミニズム?(アミニズムとは万物に霊魂の存在を認めるもので、世界中に見られます。)」

藤「アミニズムとはちょっと離れているかな。その延長ではあるとは思うけど」

藤「さっきのジネンって言い方をすると、自分がそこに含まれている感じがしますね。いつぐらいまでのはなしなんでしょう。アートとか美術とかっていう概念はもともと日本にはなかった明治以降のはなしであって、そのような枠組みはもともと日本にはなかった。そこへ、西洋社会が作った“美”という概念が輸入されて、もともと生活の延長として空間を作るための装置としてあった屏風や仏像が、切り取られて、絵画や彫刻になった。
アジア美術とつながるのは、もともとは神聖な場所や生活の中の特別な部分や力を示す部分、美術が集結された場所としてお寺があったり寺社・寺院・宮殿があったりそういうものが作られていって、美術という概念が入ってきて絵画などが切り取られていった。そこは歴史的に押さえて置かないといけない感覚。この時代にはもちろんアートという概念はない。ある思想を表現する手法として庭という手法があった。すごく究極的に成長して、際立っていった時期にできたものなんだね。そしてこれが残っているのがすごい。それだけ強かったから残ったっていえる。だってこんなのくずそうと思えばくずせる。それが何百年か残っている。様式・営みが残っているのがすごい。これはシステムとしてすごくおもしろい。
地中美術館も2000円もとりやがるけど、すごくいい。あれは体験すべきものだから、きっと映像では伝わらない。庭にもそういうところがある。」
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by plants2 | 2004-09-16 01:57

第3回plants!報告⑧

●木本さんのはなし(アートを楽しむには知識のようなものがないといけないのか!?)
素人として聞きたい。こういう庭とか美術館とかっていうのは、見るということを人に強いる、たとえば庭であれば一晩かかって何かを表現するものがあったが、見る側がそれに耐えられるだけのものを持っていないとそれが楽しめない?
哲学的な考えからそういうものを作ったとして、そういうものをある程度感じる人でないと見てても楽しくないって言うか、美術館もだけど、そういうものなのかな?
面白いと思ったのは、テクノ音楽はデジタル。あるかないかというのを非常に刹那的に(表現している?)、今の僕らが求めているもの、日常に接しているものというのは、その刹那がパッとあるから、おもしろいというか、わかるというか。そういう印象を持つもののほうが多いとおもう。見る側に、忍耐を強いる・我慢をしないとわからないというものが当時はあったということだろうか?

藤「いや、そんなものじゃなかったんじゃないでしょうか。もうちょっと、こういうものがはやっていたんじゃないか?思想的なもの・宗教的なのものもそうだけれど、流行してて、流行の最先端をいってて、ベースとして時代共通の感覚があってそのうえでなりたっていたものではないかな?だから、共通項がどこかにあるんじゃないか?
知識のレベルではなく、感性のレベル。
時代の共感であったんではないか?もうひとつは、圧倒的な強さがあるじゃないですか。忍耐を強いるっておっしゃいましたが、何か、そこで対話することが忍耐ではなくて、ある種のよろこびというか?」

「たしかにのぞんでするものなんでしょうけどねー。」
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by plants2 | 2004-09-16 01:54

第3回plants!報告⑨

●池澤さんの「見ると聞く」のはなし
庭は「見る」ものであるけれども、昔の庭に対する見方は「聞く」に近い見方であって、昔の「見る」っていう感覚は、時間をかけて「見る」っていう感覚だった。
今の「聞く」はもちろん時間をかけますが、近代になるにつれて「見る」っていうことが刹那的になってきた、っていうか時間が短くなってきた。たとえば、先崎さんの「④永遠のモダン」に出てきたような庭は、表現しているものが北斗七星だったり、縦と横のコントラストのように特徴的なものがある。こういうのは時間をかけてみるものではなく、パッとみてわかるもの。それとは逆に、庭に苔があったり、落ち葉があったり、山の風景だったりは時間をかけてみるものですよね。そういう時間をかけて「見る」という感覚がだんだん短くなってきた結果が、庭の変化にも現れているんではないでしょうか?
「聞く」っていう感覚に近い。ネイティブアメリカンの教えでは「黙って、座ってじっと聞け」自分が主張せずに、聞くことがすごく大事だって教えている。たぶん日本人のむかしからの感覚にも同じような感覚があって、時間をかけて「聞き」、自分のまわりの環境を受け入れるという習慣があったと思う。そういった感覚が「見る」っていうほうにも影響したんじゃないか。

藤「「見る」と「聞く」がわかれてなくて全体としての相対として対話するという感覚があったのかもしれないね。長い時間の中で、「見る」・「聞く」という行為が同一化していたのかもしれない。わかれてなかったんだろうね」

今も、音楽は長い時間をかけて聞きますよね。でも長い間見るっていうのは確かに忍耐かもしれない。でも昔の人の場合だったら「聞く」っていうことも「見る」っていうことも
同じような感覚だったから、「見る」っていうのもそんなに忍耐ではなかったのかも。

先崎さん「俳句とか見てると、本来は見るべきものを聞いたり、聞くべきものを見たりっていう表現が出てきますよね。」

松尾さん「においをかぐときも聞く(利く?)っていうよね」
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by plants2 | 2004-09-16 01:47